2014年6月現在、日本国内の男性の最高齢者は111歳・女性は116歳で、いずれも同じく世界の最高齢者でもあるという、誇らしい状況になっています。
一方で平均寿命(2014年)は、男性が80.50歳、女性が86.83歳。 いずれも過去最高を更新中で、男性は長寿世界3位、女性は3年連続で世界一という物凄さです。
いわゆる団塊世代の生誕が始まった1947年の平均寿命は、男性が50.06歳、女性が53.96歳でしたから、そこから男女とも実に30年以上伸びています。
しかし「人生90年時代が到来」と、喜んでばかりもいられません。ここに「健康寿命」の考え方を加味する必要があります。
平均寿命と健康寿命をみる(厚生労働省)【PDF】
日常生活上介護を必要としない自立した生活が送れる、いわゆる「健康寿命」も、平均寿命と同様年々順調に伸びてはいるのですが、それでも男性は71.19歳、女性74.21歳(2013年)と、男女とも平均寿命からグッと低くなっています。
すなわち男女ともに亡くなる前の10年程度は、一般的に完全に健康ではいられないものと、ある程度の覚悟をしておく必要がありそうですね。
ちなみに最新の報道によると、なんとこの健康寿命も、男女ともにダントツで世界一なのだそうです。
「健康寿命」日本が首位 英誌に188カ国調査(47NEWS)
しかもこの15年で3年余りも伸びているとかで、国策としては上手くいっているということなのでしょう。これ以上を望むなら、後は自分でなんとかするしかなさそうですね。
身体的な健康を、仮に旅立つ瞬間までキープできたとしても、認知症や老人性うつなど精神面での罹患リスクが残ります。
身体・精神ともに幸運にもなんとか維持できたとしても、数十年後には社会保障制度の悪化などにより、せっかく伸びたぶんの寿命を年金や家計が支えきれなくなっているかもしれません。
もっとも、悪い想像をしていてはキリがない類の話ではありますが。
19世紀の哲学者ショーペンハウアーは「幸福の9割までは健康に基づいている」と述べていますが、まずは心身の健康寿命をできるだけ伸ばすよう、個々人が置かれた環境で自分なりに努めることが、何よりも大切ですね。
そして定年・退職を迎えた後は、健康寿命が尽きるまでの間の持ち時間をざっと想定して、「それをどう使うかが、残りの自分の人生を形作る」という認識と、自分なりの決意・覚悟が必要でしょう。
団塊世代で言うと、ある男性が仮に60歳で会社人生に完全に別れを告げたとして、健康寿命の70歳で考えれば残り10年、平均寿命で考えればあと20年。
完全に自分のために使える時間が一日12時間持てると仮定すると、退職後は約4.5万~9万時間が、いわゆる「余生」として目の前に広がることになるわけです。
団塊世代に残されたこの数万時間を「まだそんなに残っている」とみるか「たったそれだけしか残ってない」とみるのか、個々の置かれた状況や心情によっても大きく異なることでしょう。
たとえ自分が健康であっても、家族の在宅介護に時間を取られる状況ならば、その分は差し引いて考えるべきかもしれません(もちろん、カウントに入れるという考え方もあります)。
さらに注意したいのは、「時間を費消する感覚の密度」も、おそらくは加齢と共に変化している点です。
若い時分のみずみずしい感覚に基づくそれと人生後半期のそれは、同じ1時間を使うにせよ、充実感にもずいぶん違いがあるものと想定しておくほうが現実的でしょう。
また物理的なスピードで言えば、同じことでも、若い時は1時間でできたことが今後は1.5時間を要するかもしれません。
加齢とともに生じる五感や反射神経の衰えは、ある程度計算に入れておかなくてはなりません。
もちろんその反面、歳を重ねるごとに時間の使い方が上手く効率良くなっている場合もありますから、プラスとマイナスの両面をちゃんと自己評価できるようになりたいですね。
団塊世代にとって「自分の残り時間」は、まともに向き合うのが少し怖いテーマである反面、正面から見据えるに値する問題でもあります。
一度きりの人生、残された持ち時間という側面から、時にじっくり見つめ直してみるのはいかがでしょう…。