団塊世代の男女が、考えないようにしたいが心のどこかで考えざるを得ないテーマが「ひとり暮らしの老後」。
いまや「おひとりさま」というコトバも、世間にすっかり定着した感があります。
定義があるわけではありませんが、基本的に「現時点から未婚」、あるいは「配偶者と離別・死別し、その後単身者のままでいること」の二つの状態を指すとされます。
2010年現在で日本の女性の平均寿命が86歳、男性が79歳と差が大きいこともあり、老後のおひとりさま状態への感度は、女性の方が高い傾向にあるそうです。
おひとり様状態を行く末のリスクと考える場合、よく聞かれるのが「頼れる人がいなくて不安」「孤独死がこわい」「介護が心配だ」「老後生活資金に不安がある」といった点です。
特にはじめの3つについては、広い意味で「コミュニケーション・社会との関係性」の問題が大きいと言えそうです。
以下の国立社会保障・人口問題研究所の推計レポートによれば、2020年までには全都道府県でおひとり様世帯(本レポート内用語は「単独世帯」)が最大になり、「高齢のおひとり様世帯(世帯主が65歳以上)」の増加割合は2005年と比較してわずか25年で117.9%も増加し、一般世帯に占める割合も8.8%となって、2005年の4.0%から倍以上になると予測されています(本レポートP12参照)。
「自分の将来の老後はおひとり様とは無縁…」と自信を持って言い切れる世帯は、いまの日本に果たしてどれくらいあるのでしょうか。
日本の世帯数の将来推計の要旨【PDF】(国立社会保障・人口問題研究所)
ひとり暮らしの年金生活者なら、一ヶ月15~16万円程度の生活費がかかると言われます。
日本国の財政破綻の可能性すら囁かれるなか、年金を含めた社会保障制度について、先々に不透明感もただよっていることも事実です。
しかし、あげだしたらキリがない老後の不安にことさら苛まれて、これまでの準備不足をクヨクヨと嘆きながら日々をうつむき加減で過ごすなど、よく考えればバカバカしく、もったいない話でもあります。
「パートナーがいさえすればすべてOK」というほど人生は単純でもないですし、もしかしたら伴侶が先に倒れてしまい、その介護に追われる行く末が待ちうけているかもしれません。
老後に備えてためこんだお金をもっと増やそうとあせって、セールストークにのせられてあやしげな金融商品に手を出したあげく、元本すらほとんど失う羽目になるかもしれません。
メディアでは「老後に×千万円は用意が無いと不安、いやあっても足りない!」という類の記事を多く見かけますが、どの世代に属そうとお金はあるほうが良いに決まってます。
お一人様なら、自分のぶんだけをなんとか手当すればよいのですから、むしろ資金調達面で小回りがきいて有利かもしれません。
なにより、あらかじめ計画したとおりの人生を終点までスムーズに走り終えた人など周りを見渡してもほとんどいないことを、団塊世代ならばこれまでの人生経験からよく知っているはずですね。
まして成熟した現在の日本において、お金がほとんどかからない楽しみなど、いくらでも探すことができます。
もちろん日々の食べるものにも事欠くくらいお金がない状態で老後に突入してしまうと大変でしょうが、年金をベースにその点をクリアできるなら、あとは楽しみを共有できる同好の士や友人、地域の知人を多く持つことによって、毎日を充実させていくことは十分にできるはずです。
その頃には、少し周りを見渡せば、「自分と同じようなおひとり様」がたくさんいるはずですからね。
むしろ置かれた状況次第では、多数派を占めることになるかもしれません。
単身だとことさら不安を抱きがちな介護の問題も、あらかじめ自分の住む地域の状況をよく調べて、元気なうちから地元の介護施設や介護サービスの情報にこまめに接するようにしておけば、どうするのがもっともよいかおのずとわかってくるものです。
パートナーがいたとしても、たとえばもし片方が介護施設に入居となったら、実際上おひとり様の生活スタイルとほとんど違いがなくなってきます。
単身者、あるいは将来単身世帯となることを、いまから過度に心配してもある意味仕方がないことなのです。
ほかにもいろいろと「おひとり様のデメリット」と喧伝されることはありますが、将来にそれなりに充実した老後をおくるために、単身世帯で解決が不可能なことなどは、よく考えれば何ひとつないはずなのです。
「人は一人で生まれて一人で死ぬ」「人生は何が起きるかわからない」という、当たり前の事実をもう一度見つめてみると、「人生の終盤にいたるまで、ココロと身体の健康をできるだけ長く保つこと」こそが、本当に大事なことだとわかります。
そしてそれはパートナーの有無とも、本質的には関係がありません。
パートナーのいる人生もおひとり様の人生も、それぞれ良い点と悪い点があるだけの話で、あとは「他人の芝生は青く見える」ことを自覚するかどうかにかかっています。
国として財政的に傾きかかっているギリシャやイタリアでも、深刻なニュースが流れるその一方で、毎日を楽しく生きている国民が大勢いるようです。
現在の生活を犠牲にすることなく、そしてあまり無理をせずに、できる範囲で準備をしているという自覚さえ持っているならば、「あとは何とかなる、ケ・セラ・セラだ」というゆったりした気持ちで、毎日を過ごしたいものですね。